片づけ苦手とする方の中には、「片づけられる人は人生すべてにきっちりしてるヒト」のような幻想があるように思えますが、いかがでしょうか?
片づけコンサルタントの真実
「探す」って何?「迷う」って何?
ハッキリ申し上げましょう。私は片づけコンサルタントです。
いわゆる片づけのプロなので家で「同じものを2個買っちゃった!」とか「賞味期限過ぎてた」とか「半年くらい探してるけどない」などなどの『片づいてない家あるある』はもとより、基本的にモノに関して「探す」「迷う」ことはありません。
例えば、手持ちのモノがない!→そしたらあそこかあそこに置いてあるはず→ない→完全に落とした→遺失物届というシンプルなルートをたどります。
例えば、買物中に定番品が安くなってても「あれはあそこに何個あってその一コだけが期限早いけど何月までは大丈夫。今買っても置き場がないからスルー」くらいに正確にかなり正確に把握しているので、食品ロスはありません。
モノの量の把握も「この家に小さいスプーンは何個、大きいスプーンは何個、、、エアリズムのインナーが何色で何着、ヒートテックは何色の長袖でバレエネックが何着、Uネックのが何着、、」くらいに把握しているので買い足しにも迷う事柄が一切ありません。
だいたい迷ったら「ときめくか?」で決めればいいので、迷いようがない。迷わないと1日ってけっこう余裕ができるんです。
そんなふうなことを言ってるので一事が万事きっちりしてるように思われるのですが、、、。
人生においてもすべてきっちりしているのかというと、これが
「片づけ祭り」を終えているので基本的に選択や決断に迷うことはありません。だがしかし、迷わないからこそ、自分で決めすぎて結果「すごいラクな状態」を作れちゃうんです。
ラクな状態って基準は人それぞれだと思いますが、私の場合はこんな感じでしょうか。
通勤しない
外出しない
朝早く起きなくてもいい
決まった時間に起きなくていい
仕事上の人とのつきあいで摩耗しなくていい
好きな量の食事ができる(外食しなくていい)
などなどなど、、、
しかも片づけコンサルタントという天職を生業にできている今の状態はめちゃくちゃ天国。
フリーランスになって時間や対人関係のコントロールできてまさに楽園、、、のはずでした。
怠惰の圧がすごい
片づけコンサルタントをしながら派遣社員をしていた頃は時間に追われ、ストレスも多く、どっちの仕事もままならないことが多くて、コンサルタントだけできたら最高なのに、と思っていました。
ですが、晴れてフリーランスになると、生来の自堕落が思いっきり幅を利かせるようになり、生活が怠惰にむしばまれています。寝しなにポテチ食べるとか、ネットフリックスのドラマを一気見するとか、Youtubeをエンドレスに見ちゃうとかそれでも翌日に支障がないので、できちゃうんですよね、、。おかげで8㎏くらい太っちゃいました!(ジムは週2~3で行ってるのに!)
本来の私はすごく人間らしくだらしない。ラクな方へ、ラクな方へ流れていきます。今は入園前の子供並みの自由と自分らしさだけで生きています(しかもそこにうるさいママもパパもいないというパーフェクト状態)。
夏休みの子供にだって宿題くらいあるのに、私にあるのは確定申告くらいです。

片づいたら直面するのは「自分の課題」
つまり、お伝えしたいのは「片づいたら人生の悩みのすべてが解決するわけではない」ということ。
片づくことで、現在「片づけなきゃ~」に隠れてる真の問題が表面化します。
そこを受け入れる覚悟がないうちは何度収納してもたいていリバウンド。片づけと片づけなきゃ~を繰り返します。だって見たくないから。自分の本当の「乗り越えるべき真の課題」を。片づいちゃったらそれが見えちゃうから無意識のうちにリバウンドの道を選んでしまうんです。(でもこれは自然なことだから大丈夫ですよ)
私の場合は片づいた部屋で自分の怠惰っぷりに悩殺されています。
そのことをもはや会社のせいにも家族のせいにも、社会構造のせいにもできないので、すべて自分ひとりで受け止めています。自分の怠惰により本人が喰われてしまいそうなほど、そのパワーに人生の主導権をにぎられつつあって、正直すごく怖いです。
だけど、これが私が対面すべき「乗り越えるべき真の課題」だったのだと思います。
「片づけ祭り」を終えたおかげで自分が大好きになってしまったので、それ以前のような自分を責める感覚はないのですが、それでも自分でコントロールできないほどの怠惰ルーチーンにはなんとかなりをひそめてもらいたい。
昔のように徹底的に自分に厳しくして軌道修正する方法じゃなくて、ときめきの鮮度を上げることで自然に怠惰を切り離していきたいと思っています。
ときめきは色見本
色見本って例えば「青」といってもそれぞれの色に名前があって、その色の中でもさらに明度や彩度が変わっていますよね。ときめきにも人の数だけいろんな種類があり、その人の「ときめき」ひとつとっても時期によって明度も彩度も鮮度も微妙に違ってくる。
派遣社員と兼業だったころには「ときめき」だったスーパー自由な生活も時間の経過とともに確かに色あせてうっすーいときめきに成り下がっていました。
ときめきには鮮度が大事なので(ときめきは生き物ですから!)、これからは「鮮度の高い怠惰」にチェンジして、ときめく怠惰を時間の中に散りばめようと思います!
部屋が片づいてないのは〇〇のせい?
その思い込み、間違ってます
ここで大きな誤解を解消したいのですが、部屋が片づかないのは住んでる人の「性格」のせいではありません。
ましてや「だらけた性格」のせいではありません!
「”自分のだらけた性格のせいで”片づけられない」、という間違った固定概念を外さない限り、念願叶ってみごとに永遠に片づかないです。片づけられない状態を「○○のせい」と決めつけてきた日々こそが、その現実を作ってしまうのです。
片づけられないのが自分のせいでも、自分の性格でも、自分のだらけた性格のせいでもないとしたら?
この答えを3日くらいかけて自問自答してみてください。
片づけに関してはその答えも解決方法もすでにありますので、答え合わせしたくなったらChinacoのワークショップや片づけレッスンに来てください。
「セイカラオカゲ」で答えが見つかる
片づけに限らず、「今の好ましくない状態は○○のせい」と言ったり思ったりするのをやめて「○○のおかげ」に変えてみる。
片づけられないのは自分のだらけた性格のせい→だらけた性格のおかげ→「だらけた性格様」の負担を減らすためにできることは?⇒モノの数を減らそうかな?
私の場合なら
早起きできずにダラダラしてるのはやる気がないせい→やる気がないおかげ→「やる気がない様」の負担を減らすためにできることは?⇒「やる気がない様」の出番を減らすべく将来のビジョンを作りそれにつながった作業だけする様にしよう
みたいな感じです。
「だらけた性格様」はだらけるのが大好きなはずだから、だらけられない状況をすこしでも減らしてさしあげなくてはいけません。
ゴミの日が迫っていて慌ててゴミを集めざるを得ない状況では「だらけた性格様」は好きな具合にだらけられませんよね?いつもちょこちょこゴミをまとめていれば当日になって慌てることもなく、通常どうりに安定的にだらけさせてあげられます。
○○のセイ→から→○○のオカゲで
自分の性格や性質って変わらないです。環境や出来事で微修正はあれど、その人に宿った「ときめき」の種類が変わらないように、ベースの性質って生まれ持ったものだともいます。
だからたとえ「だらけがち」とか多少ネガティブな性質だとしても、それを他の人に非難させてはいけません。それはあなたの(そして私の)大事な一部なんです。
大切なあなたの性格を自分で「○○のセイ」なんて使い方はもうしないでくださいね♪使うんだったら「○○のオカゲ♡」にしましょう。
「優柔不断な性格のオカゲで」
「周りに流されやすい性格のオカゲで」
「すぐにだらける性格のオカゲで」
そんなあなただからここまで来れたし、いいこともあったはず♪
私だってすぐにだらける性格のオカゲで→ラクしたい、好きなこと仕事にしたらラクそう→で、なんか知らんけど片づけコンサルタントにたどり着いたのですから。だらけたいから片づいてるし、ムダなコトしたくないから生活がコンパクトになりました。
だらけた性格のセイで片づけられないと思っているなら、、
だらけた性格だから片づいてる片づけコンサルタントのレッスンはいかがでしょうか?
だらけたいがためのハック(コツ)がいっぱいの片づけアドバイスには自負がございます。ずぼらの美学の集大成がこの「片づけレッスン」に詰まっています。
なにがハックかって、そりゃ~片づいてさえいればどんなにだらけていても「ゆったりした時間を思いのままに過ごしています」といった風情に落とし込めまして、ご家族暮らしの方なら家族にイヤミいわれることも避けられるかと思われます。
もっとずぼらな性格に磨きをかけるために、もっとラクしてだらけて生活するために、大切なあなたの個性を確実に伸ばすため、部屋の状態を問わずぜひ「片づけレッスン」をご受講ください。
あなたの「だらけ」や「ずぼら」が輝く世界がきっとある。
その世界への橋渡しのお手伝いができる日をのんびり待っています。
Your choice,Your life
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